米田敏郎監督(剣道)の経歴プロフィール!地獄の特訓内容がヤバい!嫁子供や高校想代も紹介

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2021年2月14日放送のフジテレビ系列「ミライ☆モンスター」に米田敏郎監督(剣道)が剣道の超名門・九州学院を率いる名監督ということで出演します。

米田敏郎監督(剣道)経歴プロフィールを調査してみて、剣道の実力や実績が素晴らしいのはもちろんですが、地獄の特訓がヤバいことも判明しました!
また嫁子供・家族構成や、高校想代の発起人として大会開催に尽力していたことなどもわかりました。

今回は米田敏郎監督(剣道)の以下の情報について調査したので皆様へお届けします。

・米田敏郎監督(剣道)の経歴とプロフィール
・米田敏郎監督(剣道)の地獄の特訓がヤバい!
・米田敏郎監督(剣道)の嫁子供は?家族構成は?
・米田敏郎監督(剣道)は高校想代の発起人として尽力!
・米田敏郎監督(剣道)の剣道の実力は?実績!

米田敏郎監督(剣道)の経歴

1969年 生誕
熊本県の大津町で誕生する。

1977年 小学2年生 8歳
小学2年生のときから剣道を始める。

1981年~1988年 九州学院中・高
九州学院在学時は剣道部として活躍。
高校卒業後は中央大学経済学部に進学します。

1992年~ 九州学院教員・剣道部監督
中央大学卒業後は教員として九州学院に戻ってきます。
剣道部で3年間のコーチ経験を経て監督に就任し、監督歴29年を誇ります。

小学校から始めた剣道で九州学院へと進学した米田敏郎監督(剣道)。
当時の九州学院はまだ全国優勝の経験がない、剣道無名校だったそうです。

そして1992年には教員として戻ってきた九州学院。
剣道部が四大大会初優勝を飾ったのは翌年の1993年!
九州学院復帰後、すぐに結果が現れていることに驚きました。
米田敏郎監督(剣道)の指導方法が、やはり気になりますよね。

米田敏郎監督(剣道)のプロフィール

 

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名前 米田敏郎
読み方 こめだとしろう
生年月日 1969年4月27日
年齢 51歳
出身地 熊本県菊池郡大津町
学歴 九州学院中高~中央大学経済学部卒
職業 九州学院教員・剣道部監督
教訓 当たり前のことを、当たり前にやる

当たり前の事を当たり前に一生懸命やること。
自分が一生懸命やったことに対してつまらんと言われたら悔しいでしょ。
悔しくないということは一生懸命してないということ。
悔しい思いをしないと成長につながりません。
負けたり、泣いたりというのは別に恥ずかしいことではないし、失敗してもそこから学べばなにも問題ありません。

上記は米田敏郎監督(剣道)の名言です。
目の前の課題に対し、真剣に全力で向き合うことの大切さを強調されています。
やはりこういう説得力のあるわかりやすい言葉があると、部員の皆さんの心にもストレートに響きやすいのではないでしょうか。

米田敏郎監督(剣道)の地獄の特訓がヤバい!

剣道の超名門・九州学院の稽古はやはりハード!

番組でも下記のような地獄の特訓が取り上げられていました。

米田敏郎監督(剣道)の地獄の特訓!15㎏の重りを身体に巻き付けて1対1の実戦練習&跳躍素振り

15㎏の重りを身体に巻き付けます。
ちなみに15㎏に相当するものといえば「1.5ℓペットボトル10本分」「生まれたばかりの赤ちゃん5人分」で、これを身に着けたままの実戦や跳躍素振りは確かにしんどそう!

「レギュラー陣のみ」という注意書きにも、選ばれし者のみ認められたハードさを感じずにはいられませんね。

米田敏郎監督(剣道)の地獄の特訓!「やめ」の掛け声までエンドレス跳躍素振り

米田敏郎監督(剣道)の怒りが頂点に達したときに行われる「エンドレス跳躍素振り」。
放送では24分超にわたる跳躍素振りが行われていました。
「いつ終わるかわからない」というところに、軽く絶望感が生まれますよね。

「ああぁああああああぁぁ」という部員の皆さんの断末魔が、このキツさを物語っていました!

米田敏郎監督(剣道)の地獄の特訓!24人連続ノンストップでの実戦練習

太鼓の音に合わせて次から次へと対戦相手が向かってくるノンストップでの実戦練習。
米田敏郎監督(剣道)曰く、「流行の感染症だから選手に負荷を掛けられないため、従来の半分の練習量(ニヤリ)」で24人連続戦わせ、最後に米田敏郎監督(剣道)自ら稽古をつけるという地獄の指導ぶり。
これで「従来の半分の練習量」とは、恐れ入りました。

 

これら地獄の特訓に関係するかわかりませんが、米田敏郎監督(剣道)がとある講演において、次のように話されています。

試合をするにあたって大切なのは、技術面や精神面の力ではなく、それらすべてを活かすための”準備”だと米田先生は仰いました。本番のあらゆる場面を想像し、プレッシャーのかかった状態で力を発揮するというトレーニングを積んでおくことが勝敗を分けるそうです。人間は初めてのことには動揺するが、経験したものには冷静に対処できるのだから、練習で経験しておくことが何よりも大切であるとお話になりました。

出典元:https://www.ikubunkan.ed.jp/report/2018/12/14194216.html

いっけん突拍子もない練習方法にみえますが、試合本番でどんな局面にも動揺することのないように、あえて過激な特訓を課しているのかもしれません。

米田敏郎監督(剣道)の嫁子供は?家族構成は?

米田敏郎監督(剣道)には嫁さんや子供はいらっしゃるのか調査してみました。

米田敏郎監督(剣道)の嫁について

奥様の情報については調査しましたが、特に出てきませんでした。
米田敏郎監督(剣道)、息子さんともども剣道界で活躍していることから、家庭を支える「内助の功」でしょうかね。

米田敏郎監督(剣道)の子供!米田好太郎について

 

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米田敏郎監督(剣道)には米田好太郎さんという息子さんがいらっしゃるようです。
やはり剣道が強く、九州学院に進学。
高3の高校総体では団体戦副将を務め見事勝利し、親子で臨んだ最後の全国大会で有終の美を飾りました。
九州学院高を2年前に卒業したのちの現在は、筑波大学剣道部に在籍しコーチを務めています。

米田敏郎監督(剣道)は高校想代の発起人として尽力!

2020年は感染症の流行により、高校剣道の大会がすべて中止に追い込まれてしまいました。
特に荒木京介選手ら高校3年生にとっては、まさにこの日のために必死につらい練習に耐えてきた「高校最後の晴れの舞台」が一瞬にして消え去ってしまったのです。
やむを得ない措置とはいえ、彼らにとってはあまりにショックだったことでしょう。

この状況を打開すべく、米田敏郎監督(剣道)が動きます。

高校総体に代わる「高校想代(こうこうそうたい)」開催に向け、選抜大会参加予定の男女64校に実施要綱案を送付します。

大会名は「全国高等学校『高校想代』剣道友情大会」
想いを代えるという大会
区切りをつけて次のステージに進んでほしい

この思いに賛同した男子25校、女子21校が参加し、無観客&感染予防対策を徹底のうえ実施された本大会で九州学院(男子)は決勝で桐蔭学園を破り、見事優勝を果たしました。

厳しい練習に耐えている部員たちを見続けてきたからこそ、何とか「晴れの舞台」を用意してあげたいという米田敏郎監督(剣道)の熱意、やさしさが感じられますよね。
そして優勝して部員たちに胴上げされていた米田敏郎監督(剣道)は、本当に嬉しそうでした!

米田敏郎監督(剣道)の剣道の実力は?実績!

選手時代には米田敏郎監督(剣道)も全日本選手権や国体など数々の大会に出場しています。
社会人になってからも全国教職員大会で優勝するなど輝かしい戦績を残します。

それでも米田敏郎監督(剣道)の実績は、やはり「九州学院剣道部の監督として」のものが圧倒的に多いです。

高校剣道界においてはいわゆる団体戦の「四大大会」があり、開催順に「選抜・魁星旗・玉竜旗・インターハイ」となります。
この四大大会で九州学院が初めて優勝したのが、1993年の選抜大会。
その後は優勝常連校として、九州学院を「剣道界の超名門校」に育て上げます。

そして最も圧巻だったのは、2014年から2016年にかけての3年連続で大大会制覇(四冠)!
九州学院の四大大会での『通算優勝回数34回』は2位福岡大大濠の10回を引き離し、ぶっちぎりのダントツ1位です。

米田敏郎監督(剣道)の経歴プロフィールまとめ

今回は米田敏郎監督(剣道)の以下の情報について調査したので皆様へお届けしました。

米田敏郎監督(剣道)の経歴とプロフィール
・米田敏郎監督(剣道)の地獄の特訓がヤバい!
・米田敏郎監督(剣道)の嫁子供は?家族構成は?
・米田敏郎監督(剣道)は高校想代の発起人として尽力!
・米田敏郎監督(剣道)の剣道の実力は?実績!

いかがだったでしょうか?

表情からは「厳しく怖い監督」という雰囲気が伝わってきますが、それ以上に剣道部への愛情を強く感じますよね。
九州学院を剣道の超名門校に引っ張り上げる指導力はまさに唯一無二。
全国から日本一を目指して集まる部員たちが日々必死に練習を続けるなかでの、まさかの四大大会中止。
いわゆる緊急事態、前代未聞の事態の中で「自分に何ができるか」を自問自答した人も多いはず。
米田敏郎監督(剣道)はまさにそのとき荒木京介選手ら高校3年生の生徒たちのために「高校想代」の開催を実現することが、自分にできる仕事と確信したのでしょう。

この監督のもとで指導を受けた部員の皆さんは本当に幸せですよね。

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